2021.11 ガイド
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高さ125㎝、幅10㎝の平均台は、身長143㎝の私にはかなり高いですが、それを恐いと思ったことは一度もありません。でも、成長の過程で、自分のレベルが上がり、だんだん身に付ける技が難しくなっていくにつれて、その技をするのが恐くなってしまい、「恐怖から逃げたい」「体操を辞めたい」と思った時期がありました。その時は、先生たちが私を見捨てずに根気良く支えてくれたんです。本当に初めの簡単な技から、もう一度指導してくれて、乗り越えることができました。その後もスランプになることはありましたが、その都度、自分が良い演技をした大会のビデオを見たり、毎日つけている練習ノートを読み返したりして、良かった時はどうしていたのかを確認することで克服してきました。メンタルに関しては、特別なト      8レーニングはしていませんが、自分では強い方かなと思っています。それでも以前は、演技の途中で、例えばつなぎ技が上手くいかなかったなど、小さなものでもミスをしてしまうと、自分をすごく追い込んで焦ってしまい、その後に響くことが多くありました。そこで先生方がアドバイスしてくれたのが、「0.3の減点になるミスをなくせばいい。0.1の減点ならまだ大丈夫だと考えればいい」ということ。もちろん、ミスはダメだけれど、完璧でなくていい。そう考えるようにしてからは、だいぶ切り替えができるようになりました。私が普段から心がけているのは、コーチが競技前の練習時など常日頃掛けてくれる「いつも通り」という言葉です。それで本番も自信を持って演技することができています。それと、「私はいつも、うららの一番の味方だよ」という母の言葉も、とても心強い支えになっています。ちなみに、私は「いつも通り」やるために、「演技に入る前に会場の天井を見る」ことをルーティンで行っています。これは大会の時だけでなく、練習の時も必ずやるようにしています。こうすると、集中できるというか、気持ちが落ち着くのです。高校2年の3月、本来なら3年の夏に開催されるはずだった東京オリンピックの1年延期が決定。ちょうど、種目別平均台でオリンピック代表入りが目前の状態だった私は、そこで進路について大きな決断をしました。それは、卒業後に予定していた大学進学を1年延ばし、このまま水鳥体操館で練習を続けてオリンピックに挑戦するということです。もちろん、大学進学を1年遅らせれば、後輩と同級生になるし、1年の体の成長の違いが後々影響してくるかもしれないという不安はありました。でも、そのまま大学に入って、慣れない環境の中でやるのは大変だと聞いていたし、何より、小さい時からずっと指導してくれた先生たちのもとを離れてオリンピックに出るのは、私の本意じゃない。一番大切な舞台だからこそ、コーチの先生と一緒に、水鳥体操館から出なければ意味がないと思ったんです。だから、決断に迷いはなかったし、家族も先生方も学校も私の思いを尊重してくれました。とはいえ、3年になってコロナが一向に収束せず、先が見えない状況では、「このままオリンピックが中止になったら、自分の決めた1年は普段から「いつも通り」を大切に水鳥からオリンピックに出たい!何事も諦めないで最後までやり続何事も諦めないで最後までやり続ければ、努力はきっと報われると思います。私もそうやって取り組思います。私もそうやって取り組んできたから、オリンピックに出んできたから、オリンピックに出て6位入賞できました。やっぱり、て6位入賞できました。やっぱり、身近なことからコツコツと努力を身近なことからコツコツと努力を積んでいくことが大切ですよ。高校生へのメッセージ

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